こんばんは。
KEIです!
以前パラリンピックに関する記事を書きました。
その際はテクノロジーの進歩によってパラリンピックがオリンピックを超える日がもうすぐ来るかもよーという内容でした。
今回は、そのテクノロジーと競技力に関する問題について書こうと思います。
テクノロジーの進歩と補助具
以前の記事でテクノロジーの進歩によってパラリンピックの記録がどんどん上がってきていることを書きました。
種目によってはもうすぐにでもオリンピックの記録を抜いてしまいそうなものもあります。
パラリンピックで有名な補助具といえば義足と車いすだと思います。
一口に義足、車いすといっても協議によって形状や性能は様々です。
例えば同じ球技でもこんなに違います↓
車いすバスケ。華麗なプレーの数々。
これらの補助具はその競技がより高いレベルで行えるように、テクノロジーの発展とともに作り出されてきたものです。
1500万円の車いす
先日Yahoo Newsにこんな記事が上がった。
車いすテニスといえばグランドスラム40回優勝の国枝慎吾選手が有名です。
そのライバルともいわれる、世界ランク1位のテファン・ウデ(フランス)選手がより質の高い車いすの制作を行ったようで、その価格が1500万円するというのです。
記事内では、ほかの選手から「補助具で戦うのか」と批判の声が上がっていることが書かれています。
また、成長著しい陸上競技の若手選手について別の選手に尋ねた時に、「あの選手の義足は私のものよりも性能がいいから」と返ってきたというエピソードを載せています。
筆者は、スポーツは公平に行われるべきであり、貧富の差が競技の差になってはならない、ということが言いたいようです。
公平性と貧富の差
スポーツの世界における公平性とはなんでしょう?
道具をみんなそろえることが公平なことでしょうか?
僕は、スポーツの公平性とは、ルールの中で、勝利のためにお互いが全力を出すことの中にあると考えています。
レスリング日本代表の吉田沙保里選手は勝負についてこう語っています。
例えばここで、「公平性」を「同じ条件で戦う」ととららえたならば吉田選手の考えは公平性に反するとも捉えかねません。
しかし勝負の世界では、与えられた条件下で勝利を目指す、という一点において公平性があるだけです。
同じ条件で、と考えるのは「公平」ではなく「平等」を求める考え方です。
スポーツや勝負の世界は決して平等にはなりえません。
パラリンピックは勝負の世界なのです。
ルールにのっとって出場する時点でそこから先で道具に関して難癖つけるのは論点がずれています。
道具をよくしてパフォーマンスが向上するならそうすべきではないでしょうか?
だってオリンピックだってみんないいシューズや水着を着ようとするでしょ?
資金力があるならそれを使うのもいいとおもいます。
やれることを各々がやる。勝つために。
その姿勢に公平性は存在しているのです。
前も言ったが主役はアスリート
以前の記事でも書いたがパラリンピックの主役はテクノロジーでも補助具でもありません。
主役はアスリートです。
例えばオリンピック選手はトレーニングに莫大な費用が掛かるが、そこに関して公平性だ、貧富の差だと語る人は少ないです。
それがパラリンピックになると頻繁に出てきます。
もちろん、補助具の性能によって成績が向上することはあるだろうが、それを含めてアスリートが持てる能力を最大限発揮する場がパラリンピックです。
補助具の問題や規制は今後も話題に上がるでしょう。
そんな中でも主役は何なのかというところは忘れてはなりません。
まとめ
今回は補助具の問題について書きました。
今後規制が敷かれたりという措置がどんどんでてくる可能性は十分にあります。
その中でパラリンピックの魅力を最大限出せるよう動いてもらいたいなと思います。
最後に車いすテニスの動画を張っておきます。
国枝選手のゲームです!
負けてしまった試合ですが。。。